You make me want to emigrate

You forget a thousand things every day, make sure this is one of them

オープン化によって多様性は毀損される

http://amass.jp/106231/

新しい調査によれば、人は年を取るにつれて新しい音楽を探さなくなり、昔の曲やジャンルを何度も繰り返し聴く「音楽的無気力」とも言える現象が起き、ほとんどの人は30歳になるまでに新しい音楽を探すことを止めてしまう、とのこと。ストリーミング・サービスのDeezerが1000人の英国人を対象に行った調査結果を発表しています。

この「音楽的無気力」という現象は、私自身も身を以て痛感している。私はこのアンケートに「新しい音楽の量に圧倒されている」と答え、一位の回答数をさらにのばしていたことだろう。

この現象は、全体の情報量が増えることで相対的な情報へのアクセシビリティが低下することを示唆している。これまでは情報量が多いほど情報の活用が進むと思われていたが、情報が増えすぎると趣味趣向の判断コストが上昇するため、我々は都合のいい情報だけを選り好むようになる。

これは人類のインターネットのオープン化に対する敗北なのかもしれない。主体的で能動的な行動は、伝達される情報量に制約があるからこそ成立したのだ。

Apple MusicやSpotifyのレコメンドシステムのような、コンピュータからの操作によって、我々の興味や関心は徐々に個人に最適化されつつある。その結果、意識的であるにせよないにせよ、先鋭的な内面が醸成されるようになる。特定の方向に突っ走ることを是とする情報環境が整ったことで、ニッチ化が始まるとそのニッチ化は加速度的を付けたまま、自分の好きな領域の情報のみ耕し続けけ、閉じてゆく。

つまり、迫られていることは人間がコンピュータに均されることによって生じた「個人における多様性の喪失」だ。主体的で能動的な選択が不可能になる、この不可逆な現象に対して私は恐れを抱いている。

しかし、関心が内部へ閉じることは、必ずしも危惧すべき問題ではない。外れ値を好まないことによって失われた多様性は、巨視的にはインターネットが担保する。個人が持たない情報や備えていない因子をインターネットが代替すれば、その多様性を個人が引き受ける必要はない。高度な情報化が進行した社会では、細分化した価値のもと、相互分断的な小コミュニティが乱立する。最適化により個々の固定化が進んだ人間は、単体では確かに脆弱に見えるが、全体では相当な多様性が確保される。

本質的な問題は、経済原理における「正解のコモディティ化」という問題だ。手法さえ学んでしまえば、一定レベル以上の知的水準にあれば誰にでも「正解」が提供可能になる。そして、この方法論はやがてオープン化し、多様性を毀損することになる。全てのコンテンツはプロフィットの最大化という命題の元で、同質と定義される指向性を持つ。

より高次な文化へと深化させるインセンティブは、それが純粋であるほどに経済原理の強力な磁場の中では、その理想を貫く力が薄弱となる。文化において、これこそが最大の問題なのである。